中世・ルネサンス 貴族たちの古楽の宴

11世紀末〜13世紀にかけて活躍した“吟遊詩人”たちの音楽や ルネサンス期に流行した世俗音楽や宮廷舞踏から、
ヨーロッパの中世とルネサンスという2つの時代の 貴族たちの宴の模様を、時空を超えて現代の日本で展開。
いにしえの「音楽家」と貴族たちの活き活きとした感性を 日本を代表するモダニズム建築に包まれながら共有する演奏会
「中世・ルネサンス貴族たちの古楽の宴」(2011年10月9日・10日開催 於:代官山ヒルサイドテラス「ヒルサイドプラザ」)に関連して、
このページでは騎士階級が台頭した中世盛期ヨーロッパの宮廷で奏でられた世俗音楽について概観します。



<中世盛期ヨーロッパの生活の中の音楽>

中世盛期ヨーロッパの宮廷では、どんな音楽が聴かれていたのだろうか?強大な「国家」が存在せず、各地の領主がそれぞれの地を治めた封建制の時代。「中世ヨーロッパの城の生活」によれば、「ふだんの日でも城の人々は食事をしながら音楽やジョーク、それに物語などの余興を楽しんだ」とされ、食後も本格的に歌を披露したり、歌いながら踊ったりしたようだ。中世盛期のヨーロッパ宮廷では、音楽や踊りは、鑑賞する対象としての芸術としてではなく、まさに自分たちの生活の一部であった。







<宮廷歌人とその主題>

11世紀末から13世紀にかけては南フランスでトルバドゥールと呼ばれた騎士歌人が現れた。彼らはオック語(プロヴァンス語)を用いて詩作し、アキテーヌ公爵ギョーム9世など身分の高いものもいた。ギョーム9世の孫娘アリエノール・ダキテーヌは、フランス国王ルイ7世に嫁いだことから、多くのトルバドゥールが北フランスを訪れた。トルバドールの刺激を受けて北フランスの宮廷歌人たちはオイル語(古フランス語)で詩作しトルヴェールと呼ばれた。

南フランスのトルバドゥール、北フランスのトルヴェールともに、その詩は恋愛をテーマとしたものが多く、身分の高い女性に捧げられた報われない恋愛感情を歌う、「騎士道的愛」あるいは「宮廷風恋愛」と呼ばれるものや牛飼娘と騎士との滑稽なやりとりなどを歌った「パストゥレル」などの恋愛詩のジャンルで数々の詩を生み出した。

マルカブリュ作「ある日、生垣の傍らで(L’autrier jost’una sebissa)」や多くの写本に取り上げられたベルナール・ド・ヴァンタドゥール作「ひばりが羽ばたくのを見るとき(Quant vey la lauzeta mover)」は、12世紀南仏の吟遊詩人「トルバドゥール」の音楽を代表するものとして伝えられている。

13世紀末に活躍したアダン・ド・ラ・アルによる「ロバンとマリオンの劇」は、伝統的なパストゥレル(田園詩)に、多声音楽をつけたもので、最古の世俗音楽劇(オペレッタ)とされる。牛飼いの娘マリオンに一目ぼれした騎士が、マリオンの恋人・農夫ロバンからマリオンを奪おうと試みるがなびかず、ロバンとマリオンはめでたく解放されて仲間たちに祝福されるというハッピーエンドの物語り。シャルル・ダンジューの宮廷で上演されたことが記録されている。





<世俗歌曲の演奏の担い手>

宮廷歌人たちは主に詩作あるいは作曲に耽り、実際の演奏をしたのは、ジョングルールやミンストレルと呼ばれる人々だった。ジョングルールとは、中世フランスの各地を演奏などの芸を披露しながら放浪した大道芸人の呼称。しばしば、宮廷歌人たちに雇われて彼らの歌を演奏した。ランボー・ド・ヴァケイラスによる「カレンダ・マヤ(Calenda maya)」は、ジョングルールの器楽曲に歌詞をつけたものと伝えられ、ジョングルールの音楽を伝える貴重な資料となった。ミンストレルとは、ありていにいえば、宮廷に雇われたジョングルールのことで、宮廷に所属して音楽を中心とした芸を披露した。

<騎士階級の没落と中世抒情詩の衰退>

南仏の異端者を討伐するために組織されたアルビジョア十字軍は、オック語圏の封建制度を破壊することになり、南フランスの社会構造に依存していたトルバドゥールも大きな打撃を受けた。13世紀以降の騎士階級の没落とともに、騎士文化を背景とする文化自体が衰えていく。中世抒情詩の担い手であるトルバドゥール・トルヴェールなどの宮廷歌人(吟遊詩人)は歴史から姿を消す。ジョングルールたちもまた、市民階級の台頭とともに町を拠点とした活動に移行して定住のもと職能を確立していくこととなる。


(テキスト:都市楽師プロジェクト 総合ディレクター 鷲野宏)